視聴者からの疑問や悩みを調査するHBC報道部の「もんすけ調査隊」。こんな疑問が寄せられました。
おやじさん(70代・男性)
「札幌市の西1丁目が、北17条まであるのですが、北18条からはありません。なぜか知りたいです」
「もんすけ調査隊」では、これまで「札幌市東区には北29条がない!」。「西19丁目がないワケ」など、碁盤の目の都市=札幌の歪みを調査してきました。
「西1丁目が、なぜないのか?」さっそく現場を訪れました。
北17条西1丁目を通過し、北上していくと、見えたのは…「北18西2」の文字!
つまり北17条と北18条の間で「西1丁目が消えてしまう」のです。
北18条の交差点を東に向かってみても、「北18東1」に…。
北18条では、創成川を挟んで、西側は西2丁目、東側は東1丁目となっているのです。「西1丁目」は、どこにいってしまったのでしょうか?
30年に渡り、札幌の歴史や地理を研究している、札幌建築鑑賞会の杉浦代表に話を聞きました。
「創成川はマチの真ん中から北に向かって一直線で流れているように見えているが、北12条辺りから少し西の方に曲がってきている」といいます。
衛星画像でみると北12条まで真っすぐに流れていた川が、北12条を境に、北西方向に曲がり、北19条あたりから、また真っすぐに戻るのです。
これこそが、西1丁目がない大きな原因。
杉浦代表は「碁盤の目が北18条の辺りで先細りしちゃって途切れちゃう。そうしたときに、創成川の一番西のところを、西1丁目とすると、北の方は西2丁目、南の方は西1丁目というズレが生じてしまう。それは、あずましくないというか、同じ軸で西1丁目、一つの軸で、西2丁目、西3丁目という風にしていった方がいいだろうということがあったんじゃないかなと」と推測します。
しかし、杉浦さんにも疑問が…
「実は私、3年くらい前に、この様に写真に撮っており、もともとは西1となっていた。どうももともとは幻の西1丁目というのが、この辺りにあったようだ」
幻の西1丁目・・・どういうことなのか?
札幌市に聞いてみると、「かつては北18条西1丁目は存在していました」と答えました!
見せてくれたのは、1925年(大正14年)の地図。
この頃は、北18条までは西1丁目が設定されていました。北19条から北25条までは、最初から西1丁目が設定されていません。
つまり、この車道部分が西1丁目だったのです。
では、なぜ西1丁目がなくなってしまったのか?
札幌市によると、1925年、札幌市議会は、創成川を境に、東と西に分けることを決定。しかし、それから9年後…1934年に、旧札幌村が札幌市に編入されたときに、東西の境界線となったのは、旧石狩街道だったといいます。このため、北12条から北25条まで西1丁目がされたのです。
なんと!自分たちで創成川を基準に東西に分けると決めた!はずなのに川の東側にも西1丁目を設定してしまう…。
やがて、問題に気付いた札幌市は、1942年に北12条から北25条まであった西1丁目を廃止し、東1丁目に変更したのです。
その結果、とても広ーい東1丁目が誕生したのです。
最後に残った北18条西1丁目は、2004年に西2丁目の境界線を創成川まで移動させたことにより廃止されたといいます。
【調査結果】
北18条に西1丁目がないのは、「創成川が少し曲がっているから!!」でした。
札幌市の担当者によると、今回のような住民がいないエリアの境界線の変更は、数年に1度くらいあるということです。
文:HBC報道部もんすけ調査隊
編集:Sitakke編集部IKU
※情報は番組放送時の情報に基づきます