2022.03.11
暮らす3月11日。どこにいても、この日の午後2時46分だけは、黙祷をします。11年前、小学5年生だった僕は、宮城県の太平洋に面する亘理町に住んでいました。あの日、学校の大きな掛時計が、午後2時46分をさしたまま動かなくなった光景は、今でもきのうのことのように覚えています。
あれから11年…北海道で大学生になった僕は、ニセコ町の防災に関わることになりました。東日本大震災と胆振東部地震、そしてニセコ町での活動を通し、一貫して感じた、「災害から命を守るために大切なこと」をお伝えします。
地震があったのは、卒業式の練習がある日でした。帰りのホームルームをしていた午後2時46分。激しい揺れが起こりました。
机に隠れましたが、机自体が大きく動いて、うまく隠れられません。避難訓練を思い出して、袋などを抱えて、頭を守ります。先生は避難経路を確保するため、ベランダの扉を開けました。
揺れは本当に長く、大きな横揺れでした。とんでもないことが起きているのは、子どもながらに分かりました。
最初の揺れが収まった後も、混乱は続きます。学校内でも、物が倒れたり、壊れたりしていて、校庭に避難することになりました。泣いている子もいました。
立て続けに起こる余震に、地球が怒っているような気がしました。
家から車で5分ほどの距離にあるスーパーまで津波が押し寄せ、友達と遊んでいた海辺の公園も、いつも野球の試合をしていたグラウンドも、もう跡形もありませんでした。この場所で過ごした楽しい思い出も、建物と一緒にすべて流されてしまったように感じました。
家の食器は全て割れていました。壁にヒビが入っていて、住めないほどではなかったけれど、安全のため、避難所で過ごすことになりました。
避難生活は、常に余震の恐怖がありました。地鳴りという、床下を誰かが走っているような音がしてから、大きな揺れが起こるのです。
安心して眠る暇もありません。深夜も絶え間なく余震が襲ってきます。そのたびに小さい子どもは泣き出していました。
衛生面も大変でした。お風呂はもちろん、シャワーを浴びることもできず、断水と停電で、いつもどおりの生活は一切できませんでした。いろいろなものが倒れたり、壊れたりして、作業で手が汚れるのに、洗うことができず、みんなでジェルの消毒液を分け合って、最低限の衛生状態を保っていました。
トイレも水が出ないため、大人がプールから列をつくって、バケツをリレーしてトイレまでつなぎました。避難してきても、力仕事が必要だったんです。
大人が必死になって動いてくれているのを見て、僕は子どもながらにも、何かせずにはいられませんでした。多くの人が出入りして、避難所にホコリがたまっていることに気づき、友だちと「そうじ隊」を作って、学校中をモップで掃除しました。
日本中・世界中の人たちが支援物資を届けてくれたおかげで、命をつなぐことができました。だけど、橋が壊れて渡れない、ガソリンがないなどの理由で、すぐには届きませんでした。地域のスーパーマーケットやドラッグストアが、通常より安い価格でカップラーメンやインスタント食品を提供してくれて助かりましたが、お湯が湧かせるようになるには1週間以上かかりました。
被災から、最低でも数日間は、自力で生きていかなければならないのです。
衛生面や食料は、命を左右します。普段から、防災食やカセットコンロとガスボンベなどを必ず備えなければならないと痛感しました。
自衛隊が作ってくれた仮設風呂に入って、久しぶりの温かいお湯が嬉しいと思ったとき、普段の生活が決して当たり前ではないということを知りました。
だけど、しばらくして、僕らの苦労もたいしたことではないと知りました。津波で家が流された人たちも、同じ学校に避難してきたのです。行く場所がない、もう元通りの生活には戻れない…僕らが想像できないくらい、いろいろな思いを抱えていたはずです。家族や大切な人を亡くした人、まだ見つかっていない人の気持ちは、想像を絶するものでしょう。
約3か月後、父の仕事の都合で札幌に引っ越すことになりました。引っ越してからも、震災から1年ほどは、「地震の感覚」に苦しめられました。地震が起こっていないのに、揺れているような感覚に襲われる、「地震酔い」という症状です。地震が起こっているのではないかと、普段から怯える日々が続きました。
2018年9月6日、胆振東部地震が発生しました。札幌でも震度5以上を記録した深夜の突然の大きな揺れに、7年前の記憶が呼び起こされます。厚真町で最大震度7を観測した胆振東部地震は、土砂崩れや道内全域でのブラックアウトなど、多くの被害をもたらしました。もし冬場に災害が発生したら、さらに被害が拡大してしまうかもしれません。
東日本大震災のあと避難所での暮らしを経験した僕と家族は、普段から「防災」を意識することの重要性を身にしみて感じています。停電したとき、ろうそくで灯りを確保するのは危険なので、LEDのランタンを各部屋に用意しています。非常食やウェットティッシュ、ガスボンベや水も、常に備えています。また、冬の災害を想定して、電池式の暖房器具も準備しています。
被災した人間は、自然と防災意識が高まります。だけど、命を守るための行動は、被災してから考えても遅いのです。
北海学園大学に入学した僕は、去年から、ニセコ町の「防災&魅力マップづくり」プロジェクト(※1)に参加しました。このプロジェクトは、北海学園大学とHBCが連携して設けた「もんすけラボ」(※2)の活動の一つで、地域のお年寄りと小学生が地元を見て回り、地域の人の話を聞きながら、災害時に必要な情報を調べて情報マップにする試みです。そのマップには防災情報だけでなく、グルメ情報や観光スポットもマチの魅力として盛り込み、普段も使ってもらうことで防災情報に触れやすくする工夫が凝らされています。
このプロジェクトで僕たち大学生は、住民のマップづくりのお手伝いをすると共に、その準備や調査、情報整理、まとめの過程を住民と一緒に進め、そのことで地域の防災と魅力発掘の事例を学ぶことが狙いです。
ニセコ町ではこれまで大規模な災害が少なかったことから、町役場では住民の防災意識をあらためて高める施策を進めています。例えば、防災ラジオを全戸に無償で配布したり、自主防災組織の立ち上げを促したり、災害訓練を行ったりしているそうです。僕は、災害が少ないニセコ町だからこそ、防災について一から学べることが多いのではないかと思い、参加を決めました。
昨年10月に行われた2回目のフィールドワークでは、中央連合町内会のお年寄りと地元の小学生に、僕ら札幌から参加した大学生と教官(人文地理学が専門の谷端郷講師)と町役場の方が加わり、町内を実際に歩きながら災害リスクがある場所と魅力的なスポットを確認しました。すると、町内会のお年寄りから「ここは、道幅が狭いから避難するときは注意しなきゃ」、「こっちは道路が低いから大雨の時は通れなくなるかも」というような、ハザードマップからは読み取り辛い、地域の人だからこそ知る情報(=地域知)を得ることができました。
中でも印象に残ったのは、小学生が、防災というテーマに対してとても意欲的に取り組んでいたことです。完成したマップには、子どもたちが現場で見聞きして書いてくれた情報やイラストがふんだんに盛り込まれ、オリジナリティあふれるものとなりました。
先週3月2日には、ニセコ町の方々とオンラインで最終報告会を行いました。本来ならば、調査の時と同じように、ニセコ町に全員が集まって開催したかったのですが、コロナ禍の下、北海道全域でまん延防止等重点措置が取られていたので仕方ありません。
報告会で僕ら大学生は、小学生向けの防災クイズを作りました。これまでに学んだことを、楽しく復習するためです。
「防災ラジオは、テレビの近くに置くのが良い?○か×か!」「この地区にいるとき、大雨で洪水が起きそうになったら、この後どんな危険がありえるかな?防災マップを見ながら考えてね」…など、子どもたちが住んでいる地域に関係することをクイズにしました。子どもたちは、とても積極的に学ぶ姿勢を持ち、楽しんで参加してくれました。
僕は、子どもたちが、地域のことを調べたり、防災について真剣に考えている姿に心を打たれました。
一般的な防災知識は持っていても、災害を「じぶんごと」として捉えることは、簡単なことではないかもしれません。しかし、実際に災害を経験した人の話を聞いたり、自分自身で歩いて、見て、感じたことは、きっと心に残ると思います。
世代を越えて災害の記憶を共有することは、子どもたちの未来を守ることにもつながります。その部分を体感できる防災&魅力マップづくりは、とても良い取り組みになったと思います。
だけど、作って終わりにしてしまうのは、もったいないということも感じました。
難しく考えず、今回の取り組みのように楽しみながらでもいいので、頭の片隅で災害を認識して、「どこに避難する?避難した後はどうする?」など、家族や身近な人たちと、防災について、少しでも日常的に話し合うことが大切なのではないでしょうか。
3月11日。
11年目のきょうも、僕は午後2時46分に黙祷をします。被災地に思いを寄せながら、あのときの記憶を決して忘れないように、そして次の世代へ伝えていけるように。
これからもずっと、同じ気持ちでいたいと思います。
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※(※1)「防災&魅力マップづくり」は、ニセコ町ともんすけラボによる取り組みで、北海学園大学の地域連携事業と日本民間放送連盟のメディアリテラシー事業の助成を受けて行われました。
※(※2):もんすけラボ
HBCと北海学園大学が2019年に開設した若年層向け協創型メディアシンクタンク「北海道次世代メディア総合研究所」の愛称。学生・教員とHBCスタッフがアイデアを出し合い、実践活動につなげています。
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文:「もんすけラボ」学生メンバー・莉久(北海学園大学2年)
編集:Sitakke編集部IKU