2026.02.23

食べる

「もう、私の代で終わりだと思ってるから」幻の津軽そばをつなぐ、最後の砦が函館にある理由

祖父・清治が習得したそばは、実は

左が創業者で祖父の山田清治の若き頃で、右が晩年の祖母・山田タネ。タネも青森の旧浪岡町の生まれ。清治が72歳で逝去したのち、祖母・母・そしてるみ子さんと妹の裕美子さんという4人の女性たちが店を守ってきた。

清治とタネには2人の息子がいて、ともに店の跡を継ぐはずだった。しかし昭和28年に長男が病死し、翌年には船員だった次男が洞爺丸台風の事故で命をおとした。ともに30代前半だった。

しかし、清治が習得したそばは少し特殊だった。いや、だいぶ特殊だった。

青森出身の林が提供していたそばは、青森の一部地方で古くから伝わる「津軽そば」。それは林と同じく青森で生まれ育った清治にとって、慣れ親しんだ味だった。

津軽そばは、つなぎに小麦粉ではなく大豆を使うのが最大の特徴。しかも丸1日水に漬けた大豆をすり鉢ですりつぶし「呉汁(ごじる)」にしてからそば粉に練り込み、製麺した後さらに寝かせるという、非常に手間と時間がかかる代物だった。

それゆえに継承する者はみるみる減っていき、戦後からしばらく経った昭和のある時点で、津軽地方では絶滅したといわれていた幻の郷土料理。

しかし、津軽そばがそもそもの出発点だった『かね久 山田』では、そば屋を始めた祖父から祖母、母、そして現4代目で娘の中村るみ子さんまでそのつくり方が寸分の狂いなく継承され、山田のそば=正統な津軽そばとして、何の因果か函館に残った。

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