2026.02.23

食べる

「もう、私の代で終わりだと思ってるから」幻の津軽そばをつなぐ、最後の砦が函館にある理由

青森で絶滅したそばがここに残った理由

かね久 山田(宝来町)

木曜日の早朝。翌日からの営業日に備え、ひとり黙々とそばを打つ店主の中村るみ子さん。

そば玉をのし棒で薄くのばし、生地を次々と重ね、年季の入ったそば切り包丁で一定のリズムを刻むように切っていく。100年近く変わらない朝の景色だ。

大正7(1918)年、現在の元町・末広町の一部にあたる相生町にて食料品と雑貨を扱う店として誕生した『かね久 山田』。やがて1934(昭和9)年の函館大火で被災したことを機に、現在地の宝来町に住まいと店を移しそばの専門店として再出発し、現在まで90年以上営業する。

そもそも食料と雑貨を扱う店が、なぜそば屋に鞍替えしたのか。それは、創業者でありるみ子さんの祖父にあたる山田清治が無類のそば好きだったことがきっかけだ。

大正期、自身の店から歩いてすぐの場所に林という人が営むそば屋があり、清治は毎日のようにその店に通った。

あるとき、林はあまりに熱心に通う清治に「そんなにそばが好きなら打ち方を教えようか?」と声をかけた。喜び勇んで林からそば打ちの手ほどきを受けた清治は、自分が打ったそばを店にきた客や近隣住民に無料で振る舞うようになり、それが徐々に評判を集めた。

これが、そば屋としての『かね久 山田』のはじまりである。

4代目の中村るみ子さん。週3日の通常営業のほか、なじみの客限定で予約制のおまかせコース料理を受け付けることがあり、取材前日も全10品の手料理を提供した。

1956(昭和31)年、店の前に立つ小学1年生の中村るみ子さん。現在の建物は大正時代に建てられた祖父・清治の実家で、函館大火の際は外壁部分だけ焼け残ったという。

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