
「はらへー太」3代目、太田 宏幸さん。
宏幸さんが家業である食堂の存在を意識し始めたのは小学生のときでした。

宏幸さん:「小学校に上がったときに、みんなと会話が合わないんですよ。例えばこの間の休みに親とどこに行ってきたとか、自営業だとそういうのがないんですね。そこに疑問を持ったことすらなかった」
中学2年生になった宏幸さん。
自分の将来を考える中で、「町を出る」という思いが芽生えます。

宏幸さん:「大きくなったら親の仕事を継ぐっていうのがセオリーなのかなというふうに思ったんですけれども、果たしてそれがいいのかと。栗山町だけにいては駄目だなと。一度外の世界に出なければならないのかなっていうのは、学生時代とかね、その頃はそう思ってて…」
札幌の大学に進学し、工学部を卒業した宏幸さんは「モノづくり」への憧れを胸に東京へ。
日本を代表する企業で半導体をつくるエンジニアとして、最先端の現場に立ちました。

収入も安定し、家庭も持ち、栗山に戻る理由はありませんでした。
しかし、父・幸司さんの入院をきっかけに、宏幸さんの心は静かに揺れ始めます。

宏幸さん:「父が入院するってなったときに、この店に来てくれているお客さんの顔が浮かんだんですよ。ここの店のお客っていうのも小さい頃から見ているので、この店がなくなったらこのお客さん方はどうなるんだろう。すごく胸が痛くなって…」
宏幸さんが栗山に戻る決断の背景には、幼い頃から見てきた初代の祖母、ハルさんの姿がありました。

宏幸さん「開店前、店が始まる前でもお客さんが『ちょっと腹が減ったんだけどごはんなにか食べさせてくれよ』って言ったら、営業時間外でも利用させてあげたりだとか、おもてなし精神がすごかったなと…」
そんな中、地域の人に愛された店に最大の試練が訪れます。
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