右半身まひの障害を抱えながら左手でフルートを演奏している札幌の畠中秀幸56歳さん。
沖縄のあとに、畠中さんが慰霊の演奏をした地は被爆地、広島。
故郷で祈りの音色が響きます。
80年前、戦争で初めて原爆が投下された午前8時15分。
「黙とう」
広島市で多くの人が祈るその中に、左手のフルート奏者、畠中秀幸(56)さんがいました。
「8時15分の瞬間にどれだけの命が消えたと思うと、戦後80年で注目されているが常々持ち続けないといけない気持ち」
畠中さんは、被爆3世です。
広島市中心部から車で1時間の場所にある大竹市に今も実家があります。
畠中さんの祖父・只人さんは、当時2歳だった畠中さんの父、嗣郎(82)さんと一緒にリアカーを引いて爆心地まで、親戚を探しに行きました。
「祖父が34歳、リヤカーをひいて30キロ離れた爆心地まで行った。父の話によると、連れてきた人が部屋に寝ていて怖かったと」
被爆の状況をあまり話すことはなかったという祖父・只人さんは、被爆者手帳を受けとらなかったといいます。
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