2025.09.12
深めるサッカーをはじめたきっかけはお兄さん。
当時チームのエースだったお兄さんと一緒に8歳でサッカーをするようになり、熊谷家はサッカー一色になりました。
小学校のサッカー少年団に女子唯一のプレーヤーとして所属。
大勢の男の子たちとともにサッカーに明け暮れました。
当時のチームメイトは「小学校のときも今と同じように背も高くて、サッカーテクニックもあって、チームで1番、2番を争う上手さでした」と話します。
中学校に入ると、女子サッカーのクラブチームに所属しますが、一方で通学する中学校の男子サッカー部にも所属。
「サッカーの二刀流」で更に技術に磨きをかけました。
ですが、その一方で教師だった両親からは「好きなことをするからにはやるべきことをやりなさい」と教え込まれたといいます。
「どんなにサッカーで疲れていても、塾を休むことは許されませんでした。でも時間のない中での勉強の仕方や、集中力はそんな中で身についたものだと思います」と熊谷選手は振り返ります。
高校は女子サッカーの強豪校である宮城県の常盤木学園にサッカー留学で進学。学年の成績トップだけが集まる特別クラスに入りました。
寮生活をしながら、文武両道をきわめて、筑波大学に進学します。
高校2年生で日本代表にも選出され、高校卒業と同時に浦和レッズレディースに入団を果たしました。
2011年のワールドカップ後、ドイツのフランクフルトよりオファーを受けて、苦渋の決断の末、筑波大学を中退して世界に羽ばたきました。
両親から伝えられた「文武両道」が今の熊谷選手のベースにつながっています。
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