学校の体育館と食堂を結ぶ渡り廊下の途中に、誰もが観覧できる資料館があります。
そこには北海道の在日コリアンの歴史に関する資料が並んでいます。
太平洋戦争が終わるまでの35年間、日本は朝鮮半島を植民地支配し、民族としての誇りや文化を奪いました。
多くの朝鮮人が職を求め、あるいは、強制連行により日本に渡りました。
戦後、帰国する人たちもいましたが、生活上の理由などから、日本に住み続けることを選ぶ人たちもいました。
そんな中で、「朝鮮戦争」が勃発。
彼らの故郷は南北に別れました。
日本に居ても朝鮮の文化を学ぶことができる場所を作ろうとする動きが全国で高まり、1961年、北海道朝鮮初中級学校が創立しました。
しかし、1994年には東京で、朝鮮学校に通う女子生徒の制服が切られる事件が起きるなど、朝鮮学校は、時として暴力や差別の対象になってきました。
その事件以降、札幌の朝鮮学校に通う子どもたちも、学校の外では制服を着ることができなくなっています。
街頭やSNSでは、いまも在日コリアンに対する攻撃が絶えません。
政府は、拉致被害が未解決であることなどを理由に、高校無償化の対象から、朝鮮学校だけを外しています。
学校の経営は、学費や、在日コリアンや日本人の支援者からの寄付金などで賄われています。
「朝鮮が誇りなら帰ればいい」
「なぜ日本に暮らすのか」
そんな声があがるなか、北朝鮮を「帰る場所」というには、少し違和感を感じるという声を、取材中に聞くこともありました。
先祖が日本に来てから、朝鮮半島が南北に分かれた歴史もあるためです。
いま日本に暮らす在日コリアンの多くは、祖父母や曾祖父母の代から日本に暮らしています。
慣れ親しんだこのマチ、マチの中で紡いできた人とのつながりを大切に思っています。
SNSなどで根強い在日コリアンに対する攻撃があることから、「子どもたちの顔をそのまま出して放送をするか」、校長や教員、保護者の多くがとても悩んでいました。
“ありのままの子どもたちや学校の姿を伝えたい”という思いから、結果として多くの方が顔を隠すことなく、取材を受け発信することを決断してくれました。
朴大宇校長も、「子どもたちを守る」というのは前提のもと、どのような取材ができるか
私たちと真剣に向き合い続けてくれました。
「在日コリアンであること」は、まぎれもなく自分たちを形づくる大きな要素。
それを隠したり、否定したりさせられたりすることは、自分自身を否定する経験として蓄積されていきます。
ありのままの自分のルーツ、アイデンティティを大事にしていいんだと、そんな「自己肯定感」育ててあげたいというのも保護者が朝鮮学校への通学を選ぶ理由のようでした。
「日本好きな子たちも多いですし、それがほとんどだと思います。在日コリアンとして生きていくのは簡単なことではないので、何か自分で得た答えがあったら、堂々と生きていける」
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