2025.06.29
出かける吉原さんには、もう1つ大切な言語があります。
それは手話。
この日、吉原さんは、地元にある白老東高校にやってきました。
白老町では『手話言語条例』が制定されていて、町が小中学校、高校で手話講座を主催しています。
吉原さんは、白老町でNPO法人として活動する田村直美さんとともに、手話講座の講師をつとめています。
このときは、あえて"口話"ではなく、手話だけで授業をします。
「わたしの名前は吉原和香奈です。生まれつき耳が聞こえません」
吉原さんが手話を本格的に覚えたのは、社会人になって"デフフットサル"を始めたとき。小・中・高、そして大学は、聾(ろう)学校でなく、地域の学校に通っていたからです。
高校生にとっても、ろう者と触れ合う機会というのは、なかなかありません。
指文字から、手話の起源をいろいろ教えてもらうと…苦戦もしながら、いきいきと手を動かし、覚えようとしています。
相棒の山下さんが手話を覚え始めたのは、新型コロナ拡大のとき。
みんながマスクで口を覆うようになり、吉原さんが、相手の口の動きを読み取れなくなったことがきっかけでした。
吉原さんと友だちであったときから聾(ろう)であることの壁はなかったという山下さん。
「遊んでいるときって、伝わらなくても問題ないじゃないですか。なんとなく、雰囲気でいけちゃう」
それが、仕事になるとそうはいきません。
「どうしても伝わらなくちゃ困ることって、いっぱいあるし…特に真面目な話をする、ほかに第三者を交えて、きちんと同じ熱量で話をしなきゃいけないときは、もちろん手話が必要だなぁって」
"伝えたいことを伝える"ための手話が、結果的に、2人の信頼関係をさらに深めたのです。
山下さんのそんな姿に吉原さんの思いも変化していきました。
「私、前は聞こえない苦しみは、聞こえる人にはわからないという風に思っているところがあった。でもいまは、彼女が理解しようと頑張ってくれる様子を見ると、私はそういう風に思っていては駄目だ、そういう考え方は捨てようと思いました」
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