2025.06.13
深める安達さんが、交通事故に遭ったのは高校1年生のときです。
ひき逃げされ、脳挫傷のほか、肋骨や鎖骨などを折る大けがを負い、ICUへ…。
そして、もうろうとした意識の中で、大きな異変に気づいたのです。
「突然視界が真っ暗になって」
いったい自分に何が起きたのか…安達さんはパニック状態に陥ります。
そんな中、両親にかけられた言葉が、その後の人生を大きく支えたと振り返ります。
「母が手を強く握って”大丈夫だよ、絶対に治るよ”と励ましてくれて。父からも"朗子は朗子にしかできない使命があるから生まれてきたんだよ"…と言われて」
重傷を負いながらも、15歳だった安達さんは「絶対に治してみせる」と心に誓いました。
そして、事故から3か月後、目に光が戻りました。
ただ、視力をほぼ失ったことで以前のような高校生活を送ることは困難になり、中退を余儀なくされました。
それでも学ぶことを諦めませんでした。
自らの障害に向き合いながら、その後、盲学校で学び直し、短大へ進学。
さらに大学院に進み、福祉分野の研究を深める中で『複合差別』というテーマに辿り着きました。
安達朗子さん
「研究を通して、社会に届けるということは、私にできる役割の一つなのかなという風に思って…」
今年3月、大学院を修了し、長い学生生活に一区切りをつけました。
今後は、講演活動などに力を入れていきたいと話します。
「私はこのとき、絶望の時こそ希望を持ち、諦めなければ未来は必ずよくなるんだということを確信しました」
逆境に負けず、朗らかに“自分の使命”を全うしようとする、彼女の姿がありました。
改めて『複合差別』についてです。
例えば、“視覚障害者は何も出来ない”という前提で、家事や育児など“女性の役割”は果たせないという差別が生まれ、そうした差別を背景に、結婚や出産、恋愛の自由なども狭まっていくといった、複合的な差別が生じていくことと考えられています。
研究を指導した札幌の北星学園大学・田中耕一郎教授は「複数の視覚障害者の人生を探求し、差別の実態や、女性たちがどのように生きてきたかを浮き彫りにした」として、「世界的にもあまり類を見ない研究だ」としています。
安達朗子さんが取り組んだ『複合差別』の研究から、私たちが普段、気が付いていないことへのヒントが、たくさん見えてくるのではないでしょうか。
安達さんは今後も、自分の研究やこれまで辿ってきた人生について、講演などを続けていきたいとのことです。
連載「じぶんごとニュース」
文:HBC報道部
編集:Sitakke編集部あい
※掲載の内容は「今日ドキッ!」放送時(2025年5月16日)の情報に基づきます。
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