松田さんは南茅部町出身で、4人兄妹の末っ子。母親がお菓子づくりを得意としていたので、兄妹はいつもその恩恵にあずかっていたが、なにせ4人もいるため1人が食べられる量は限られていた。すでに幼少期の時点で無類のお菓子好きに育った松田さんはそこがどうしても不満で、徐々に「ならば自分の手でつくる」という考え方にシフト。中学にあがる頃にはお菓子づくりは立派な趣味となり、将来は洋菓子の職人になると決めていた。
地元の公立高校を卒業後、札幌の光塩学園調理製菓専門学校に入学して基礎を学び、その後函館に戻り有名洋菓子店『プティ・メルヴィーユ』に入社。6年に渡って本格的な現場経験を積み、憧れだったパティシエとなる。かねてから独立志向があった松田さんはそれから間もなく開業準備に入るが、ここで現在につながる進路を決定づけたきっかけが訪れる。
「函館の創業セミナーに参加していたときに出会った方を通じて、福岡でチョコレート専門店を営む社長を紹介してもらい、その方からエストニアで新規事業のスタートアップを勉強できるプログラムがあると教えてもらいました。エストニアといえばチョコレート消費量でも世界上位の国。経営の勉強だけでなく、パティシエとしての勉強もできると思い、エストニアでの修業を含めて開店準備に1年間かけました」当初は、チョコレートを主軸とした店ではなく、スタンダードな洋菓子店をひらくつもりだったという。しかしエストニアで学んだ経営学と経験を経て、開業するなら他にはない「唯一無二の強み」が必要だと感じるようになった。
そこでたどり着いたのが、ビーントゥバーに特化した店にするというアイデアだった。「実際、私はチョコレートが大好き過ぎて、店で働いていた頃は有給をとって東京のチョコレート関連の催事に行ったり、チョコレート関連のものに1ヶ月の給料をつぎ込んだり(笑)、その頃にチョコレートソムリエの資格も取りました。当時は専門店を始めるための資格取得ではなかったんですが、活かすならこれだと思いました」
松田さんの厨房におけるチョコレートの製造は、豆の仕入れ・選別に始まり、水洗い・焙煎・粉砕作業のあと、豆の皮と中身を分類するウイニング(風選別)、さらにハンドピックで外皮を取り除き、ある程度すりつぶしてから1日以上かけてコンチング(攪拌)、そしてテンパリング(温度調整)して、冷やし固めて完成という流れ。これを一人で行うため、1種類の板チョコの販売分ができあがるまで最短でも3日程度かかるという。
時間もかかれば、手間もかかる。そしてなによりビーントゥバーを世間一般にもっと認知してもらわなければならない。決して楽ではないが、それが彼女の選んだ道。函館では前人未踏の領域を歩みだした松田さんの冒険を、心躍らせながら見守っていきたい。
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