2025.06.01
深めるここで、冒頭で紹介した岡本かの子さんの短歌を、もう一度あえて載せさせてください。
「さくらばな花体を解きて人のふむこまかき砂利に交じりけるかも」
さくらの花がその身をほどき、無に還ってしまう切なさを詠いながらも。
その花びらが砂利とともになることで、今を生き、現実を踏み進んでいかなければならないのであろう人々の、歩んでいく道を作り出していく。
そんな諸行無常ながらも、それに支えられたこの世の「生」がいかにビビッドなのか。
この歌は、その様子を描き出しているのでしょう。
あたしね、思うんだけれど。
この世を去った人たちとの思い出って、この桜の花びらのような役割をきっと担っているんじゃないかしら。
散るときの儚さ。
それは、誰かがこの世を去るときの悲しみによく似ています。
でもその誰かは単に、完全な無となってしまうわけではない。花が花びらという名残を残していくように、人間はは誰かのこころに、思い出という跡を遺していく。
その思い出をしっかりと受け止め、愛し、おのれの歩みに生かすことで。
この世を生きる我々は、喪失の悲しみを乗り越えて、前に進んでいくことができるのではないでしょうか。
だからね、飴さん。
今抱いているその心細さを、思い出のなかでの故人との邂逅を通じて、しっかり癒してみてください。
今でもあなたはひとりぼっちじゃないことが、それによってきっと見えてくるはず。
そして、そのケアを経たうえで、あなたにはやっぱり可能な限り、今を精一杯生き、元気に未来へと歩んでいってほしいの。
それが大事で大好きな、かつてともに生きていた人たちへの、最大にして最高の弔いになるはずだから。
グリーフケアという取り組みとの出会い。
それが少しでも、飴さんにとって有意義なものとなってくれればいいなぁ。
あなたの魂に、明るい方へと向かっていくためのエネルギーが宿ることを、あたしはこれからも、こころから祈っています。
というわけで、今回は「大切な人との別れ」について、かつて書いたコラムの内容も一種反省的に鑑みながら、改めてじっくりと考えてみました。
今回は、すでに旅立っていった人たちについて、あれやこれやつづってみたけれど。
思えば現在一緒にいる、愛する友や家族、パートナーとの別れだって、いつどのように訪れるかわからないものなのよねぇ。
そう、だからこそ。
そんな日がいつきても、決して不思議じゃないからこそ。
あたしたちは、今目の前にいる人たちとの思い出作りというか、楽しく充実したときを過ごそうとすることも、忘れずにいる必要があるんだと思います。
今日も明日も、大好きな人たちとともにいられる瞬間を、しっかりと大事にしていきたいなぁ。
皆さんも、どうか素敵なときを、大切な方と過ごしてくださいね。
ではではまた次回。Sitakkeね〜!
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文:満島てる子
イラスト制作:VES
編集:Sitakke編集部あい
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満島てる子:オープンリーゲイの女装子。北海道大学文学研究科修了後、「7丁目のパウダールーム」の店長に。 2021年7月よりWEBマガジン「Sitakke」にて読者参加型のお悩み相談コラム【てる子のお悩み相談ルーム】を連載中。お悩みは随時募集しています。
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