2025.06.01
深める切ないものです。
大切な人たちには、やっぱりずっと隣にいてほしい。
でも、そう願っていたとしても、なにかのきっかけで必ず別離は訪れます。
死はそんなきっかけのひとつ。
もしそんな避けられない別れ、そして、その別れからくる痛みと出会ってしまったのならば。
その痛みとともに、なんならその別れの記憶とともに、精一杯その先を生きていく。
それが遺された者にできる唯一のことなのではないかと、あたしはこれまで書いてきました。
でも、改めて考えてみると。
痛みってさ、文字通りきっちりしっかり「痛い」ものなんですよね。
ちくちくして、血(とも言えるこころの何か)が流れて、ときに悲哀や怒りまで連れてくる。
しかも、その感覚は否定したくても消せない。いつ痛むかも、どれぐらい痛むかもアンコントローラブル。
そのせいですごくこころが削られるから、そこから起因する「心細さ」を抱えたり、疲弊して「生きている意味がわからなく」なったりもする。
誰かの死をきっかけとして。
こうした、現在の飴さんと似た気持ち、あるいは痛みを抱え、苦しんだことがある人は決して少なくないはずだと、今回のお手紙をきっかけとして、あたしは気付かされたように思います。
そして、大切な人の喪失を乗り越えて、未来に向かって生きていこうとする前に。
痛みを和らげながら、その身に受けた傷の治癒に注力することも、生きている側の者たちには必要なことなのではと、そう考えることができるようになりました。
「グリーフケア」という単語が、世間にも徐々に広まってきています。
死による別れを体験した人たちの悲嘆に注目し、そこへの寄り添いや支援、そこからの立ち直りをサポートする取り組みを意味する言葉です。
周囲の人々によるケアはもちろんのこと、このグリーフケアの過程(グリーフワークと呼ばれています)自体は、悲嘆を抱えているまさにその人自身が、自ら取り組む領域も含まれています。
自分で自分を癒すことも、グリーフケアの大事な要素のひとつというわけです。
飴さんに今必要なのは、そんなグリーフケアへのアクセスなのかもしれない。
部外者ではありながら、お手紙を受け取ったあたしが今思うのは、そんなひとつの大きな方向性です。
この方向性を前提にしながら、後半は個人的な考えにはなりますが、「こうしてみたらどうかしら」というあたしなりの気持ちを、飴さんにお伝えさせていただこうと思います。
■彼氏からの「報連相」がなくてイライラ…どのように伝えれば意識してくれる?【お悩み#85】
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