2025.06.01

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大切な人の死が続き、たまらなく心細い…この世にひとりぼっちな気がして…【お悩み#87】

別れの痛みは、とても心を削られる

お部屋にお迎えした桜の枝

切ないものです。
大切な人たちには、やっぱりずっと隣にいてほしい。

でも、そう願っていたとしても、なにかのきっかけで必ず別離は訪れます。
死はそんなきっかけのひとつ。

もしそんな避けられない別れ、そして、その別れからくる痛みと出会ってしまったのならば。
その痛みとともに、なんならその別れの記憶とともに、精一杯その先を生きていく。

それが遺された者にできる唯一のことなのではないかと、あたしはこれまで書いてきました。

でも、改めて考えてみると。

痛みってさ、文字通りきっちりしっかり「痛い」ものなんですよね。
ちくちくして、血(とも言えるこころの何か)が流れて、ときに悲哀や怒りまで連れてくる。

しかも、その感覚は否定したくても消せない。いつ痛むかも、どれぐらい痛むかもアンコントローラブル。
そのせいですごくこころが削られるから、そこから起因する「心細さ」を抱えたり、疲弊して「生きている意味がわからなく」なったりもする。

誰かの死をきっかけとして。
こうした、現在の飴さんと似た気持ち、あるいは痛みを抱え、苦しんだことがある人は決して少なくないはずだと、今回のお手紙をきっかけとして、あたしは気付かされたように思います。

そして、大切な人の喪失を乗り越えて、未来に向かって生きていこうとする前に。
痛みを和らげながら、その身に受けた傷の治癒に注力することも、生きている側の者たちには必要なことなのではと、そう考えることができるようになりました。

自分で自分を癒すこと

「グリーフケア」という単語が、世間にも徐々に広まってきています。

死による別れを体験した人たちの悲嘆に注目し、そこへの寄り添いや支援、そこからの立ち直りをサポートする取り組みを意味する言葉です。

周囲の人々によるケアはもちろんのこと、このグリーフケアの過程(グリーフワークと呼ばれています)自体は、悲嘆を抱えているまさにその人自身が、自ら取り組む領域も含まれています。

自分で自分を癒すことも、グリーフケアの大事な要素のひとつというわけです。

飴さんに今必要なのは、そんなグリーフケアへのアクセスなのかもしれない。

部外者ではありながら、お手紙を受け取ったあたしが今思うのは、そんなひとつの大きな方向性です。

この方向性を前提にしながら、後半は個人的な考えにはなりますが、「こうしてみたらどうかしら」というあたしなりの気持ちを、飴さんにお伝えさせていただこうと思います。

Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

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