2025.05.26
深めるでもそうかぁ。
「選択肢がいくつかあったとき、本当にどれでもよくて」っていうの、とっても率直な思いを書いてくれたんだろうと一旦受け止めつつ。
情報にあふれ、それによって選択肢の幅というのも日常の単純な行為についてすら、いちいち膨大なものになっている、この現代社会。
くまつんさんの苦手な「決断」を迫られる場面って多々あるだろうから、「どれでもよい」と言ってばかりもいられないのよね、大変ねぇ……と、その身を案じざるをえなかったりもして。
以前にも実は「優柔不断になった自分に自己嫌悪」という類似のお悩みに回答させてもらったことがあったんだけれど。
▼【相談】優柔不断すぎて自己嫌悪になります。昔に比べて、決断力が弱くなった気がします。
そのときにお伝えした「あたしなりのアンサー」は、くまつんさんの場合にも有効だったりするんじゃないかなぁと、かつての自分のコラムを読み直しながら、改めて「物を決める」ということの面倒さに思いを馳せたりしていたのでした(もしよかったら、参考にしてみてね!)。
えらいなぁと思うのは、くまつんさんは親御さんや先生といった、周りの人たちの意見をしっかり引き出して参考にした上で、自分の振り方やみんなで目指す方向を考えようとしているというところ。
これあたし、自分に「足りないなぁ」と思っちゃったりする部分なんだよね。
例えば、超絶二日酔いでのお客様とのご飯の約束。
「最初はソフトドリンクでもいいのよ…?」と言われていても、飲み物を「一杯目はビールで!」のノリで考えなしに決めちゃって、肝臓にみずから九頭龍閃(cf. 『るろうに剣心』)叩き込んで再起不能になっちゃったなんてこと、これまで多々あったし。
はたまた、プライベートのデートの予定。
「ここは評判いいし、店内もオシャレでくつろぎやすかったはず!イケる…!」と思い、食事の場所をこちらの一存で設定したら。
お相手が好き嫌いはっきりしてるのもあって、一緒に食べられるメニューがろくに無いことが行ってから発覚。
ときめきも灰と化した、なんて経験もあったっけ。汗
他にも、仕事に関する重要な判断についても、定期的に「これは周囲の意見を仰ぐべきだったなあ」と反省することになったり、きちんと大失敗することになったりしてるのよね。トホホ。
だから、自分の決断の足がかりを作るために、他者の意見をきちんとあおぐことのできるくまつんさんの態度は素晴らしいし、見習わなきゃなぁって、あたし個人的には思うの。
たとえ結論を出すのに時間がかかったとしても、その方が安定を実現できるし、周囲の人とも安心して一緒に過ごせるだろうなぁって。
とはいえです。
考えに考え、でも最終的な方向性がなかなか出ない…という状況に、事の大小があるにしてもわりかし高い確率で陥ってしまい、足踏みすることが多いのだとしたら…。
くまつんさん自身はもちろん、意見を聞かれているであろう周りの人も、その足踏みのたびにストレスを抱えることになりかねないわよね。
それは端的によくない。
くまつんさんの背中を押し、決断に向かう扉を開くためにも。
あたしはずっと「どんな言葉を送ろうかな」と、ここまでの前半を綴りながら考えていたのでした。
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