2025.05.24
深める「江戸末期くらいから牛とか豚とかを焼いた物を“やきとり”と言った。なぜかと言うと、鶏肉は当時高かったので、庶民には手が届かなかった」
そう教えてくれたのはやきとり文化研究所の土井中照所長。
土井中所長は、やきとりを研究して25年になる人物です。
「律令時代に、聖武天皇などが『肉を食べたらいけない』という命令を出した」
やきとりの歴史は、縄文時代までさかのぼります。
貝塚から、鳥の骨が出土しているのです。
ただ、飛鳥時代に天武天皇らが肉食を禁止しましたが、人々は、隠れて野鳥や鶏を食べていて、江戸時代の料理書には“やきとり”という記載も。
明治時代になり、ようやく肉食の禁止令は解かれたものの、鶏肉は、庶民の手に届かない貴重で高価な食材だったのです。
そのため、東京では、牛や豚のモツを串焼きにし、“やきとり”として売っていました。
「豚モツ串が人気になるのが、大正時代の関東大震災。東京で食べた“やきとり”を地方に持って帰って広がった」
土井中所長によりますと、関東大震災後、食糧事情が悪化。
食材としての肉が注目され、“豚モツのやきとり”が人気になったのです。
それが全国に広まり、北海道にも伝わったのでは…ということです。
そして、1960(昭和35)年代に入り、食肉用のブロイラーが登場すると、鶏肉が安価になり、全国の“やきとり”は、本来の鶏肉に戻っていきました。
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