2025.03.23

暮らす

「クマに見られる」体験に、あなたは何を感じるのか。『劇場版 クマと民主主義』に抱いた「震えにも近しい感覚」

クマと幾島監督

幾島監督(『劇場版 クマと民主主義』より)

幾島監督とクマの出会いは、非常に偶然的なもの。
HBCの報道部で、警察や司法に関する取材も担当していた監督。その配属2ヶ月目で、たまたま1頭のクマに関する報道に携わったのが、その直接のきっかけだったそうです。

今回の『劇場版 クマと民主主義』は、そんな偶然から監督が学んだこと、その目に映し出されたものを、取材開始からの約7年の集大成として作品化した一本。
北海道・島牧村をメインの舞台としながら、クマとヒトとの衝突だけでなく、ヒトとヒトとの軋轢やせめぎ合い、その過程で発生していく問題を描き出し、最終的に私たちが日々当然のように発する「民主主義」という単語にも、再考の光をもたらしてくれる映画となっています。

北海道・島牧村(『劇場版 クマと民主主義』より)

実は私は、Sitakke編集部と関わってきたこの数年、ずっと監督のことを一方的に生粋の「クマおたく」だと思っていました。笑
クマのこととなると、笑みが止まらなくなる幾ちゃん。Sitakkeの姉妹サイトである「クマここ」も幾ちゃんが立ち上げたもの。

なんなら「したっけラジオ」の中でも繰り返し取り上げさせてもらった、クマ対策のプロですら間違えることがあるという、鬼畜な内容の「ヒグマ検定」。
北海道庁の企画で作られたもので、「クマここ」内からチャレンジできるのですが、あれも何を隠そう、幾島監督が制作に関わっているのです。

クマについては一直線な幾島監督。
ですが、劇中のナレーションにもあるように、そんな監督自身が当取材の初期、クマの駆除について抱いた正直な感想は、とてもシンプルな「かわいそう」の一言でした。
私も同様に、つい最近までクマのニュースについて「撃っていのちを奪うだなんて」と、マイナスの受け止め方ばかりをしていたように思います。

ヒグマ(『劇場版 クマと民主主義』より)

現在、北海道のみならず全国でクマの出没がニュースとなり、時に人的被害までもが報告されています。こうした話題が出るたびに巷で繰り返されるのが、素朴な動物愛護精神に基づく「殺さないで」論でしょう。

これと異なり『劇場版 クマと民主主義』が伝えるのは「殺すかどうかの前にできることがある」というひとつの事実です。
避け得ない駆除はもう眼前にある。より必要なのは、クマと人間との棲み分け。
様々な事情で曖昧になってしまった二者の境界線をどう引き直せばいいのかを、島牧村の住民たちが試行錯誤しながら、専門家の導きも受けつつ、自分たちなりに実践していく様子がスクリーンには映し出されます。

私はこの様子を見た時、ハッとさせられました。
「そうか。本当にクマの身を案じるならば、ヒト側がすべきは、単に現状を感情からネガティブに受け止めることではなくて、みずから学び工夫しながら現状を変えていくことなんだ」と。

そしてさらに、こうも感じたのです。
「おそらく幾島監督は、私が気付かされたような"クマとどう付き合うべきか"ということを、島牧村の住民と一緒に身をもって、いちから学んでいったのではないか。」「この映画はそんな監督自身の、ヒトとしての学びと気づきの過程を克明に描き出し、追体験させる可能性をも開いているのではないか。」と。

幾島監督(『劇場版 クマと民主主義』より)

ドキュメンタリー映画は一般に、特定の現実を客観的に記録し伝えるものとされています。
ですが、そこに映し出されているのは、あくまで"誰かが向けた"カメラの捉える現実です。取材を行うヒトの主観性はどこかに必ず残り、生きています。

映画『劇場版 クマと民主主義』にとっては、その主観性の残り香こそが素晴らしいスパイス。
幾島監督というヒトが歩み成長していく道のり。それをクマに関するリアルな情報とともに銀幕上で味わうことで、観客側はおのが身をアップデートすることができるのではないかと、あたしはそう思っています。

Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

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