民の力で守った運河と道

明治末、たくさんの北前船が行き来し、活気にあふれていた小樽市。

しかし、マチは高度経済成長の波に乗り遅れ、徐々に衰退していきました。

昭和40年代には、荒廃した運河を埋め立てて道路にする計画が持ち上がりました。
そのとき、運河を守ろうと立ち上がったのが、市民たちでした。

埋め立てか、保存か。

十数年に及ぶ論争の末、小樽運河は半分を道路に、さらに散策路を整備したいまの姿に生まれ変わりました。

これが、「民の力」で歴史や文化を守り、観光都市として再生させる小樽のまちづくりの先駆けとなったのです。

池田憲昭さんは日本遺産認定に向けたPRを行う「小樽市日本遺産地域プロデューサー」として、2年ほど前から活動をしてきました。

池田さんに聞いた小樽市の「日本遺産」の見どころのひとつが「北運河」です。

観光客でにぎわうあたりから、数百メートル北の「北運河」は、道路として埋め立てられることなく昔の面影を残したまま。
穴場の観光スポットです。

池田さんは「北海道中のグルメを北運河に集めて、人を集めてワクワクする小樽にしたい」と今後の未来図を描いています。

Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

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