実は、呼び名の違いは歴史と大きく関係していることが、かまぼこの製造と販売を手がける「紀文」への取材で明らかになりました。
紀文食品の広報担当、村田真由香さんによると…
「かまぼこが書物に出てくる一番古いものが平安時代の書物で、宴会料理の献立の記載の中に、“蒲鉾”という文字と、焼いた練り物の絵が描かれている」
その書物というのが『類聚雑要抄』です。
平安時代の祝賀料理が描かれているのですが、その挿絵には、確かに「蒲鉾(かまぼこ)」と書かれているのです。
さらに料理を再現してみると、まるで「ちくわ」の様な形状をしています。
形が、がまの穂に似ていることから「かまぼこ」と名づけられたということです。
その後、時代が流れていくにつれて、今のような板に乗せた”焼きかまぼこ”に発展し、江戸時代になると”蒸しかまぼこ”や、”揚げかまぼこ”に発展していったのだといいます。
では、その「揚げかまぼこ」が、なぜ「てんぷら」や「さつま揚げ」と呼ばれているのでしょうか。
ルーマニア国立交響楽団の常任指揮者で、日本料理の歴史や文化を研究している尾崎晋也さんに取材しました。
「昔、沖縄の漁師が、東南アジアで作られていた魚のミートボールを揚げたものを見て、それをまねて作ったものが“チキアギ”。『さつま揚げ』の原型と言われている」
東南アジアの料理をまねて作った沖縄料理「チキアギ」が、今の鹿児島・薩摩に伝わり「つけ揚げ」になったそう。
さらに、それが江戸に伝わり「薩摩のつけ揚げ」と呼ばれましたが、短く省略されて「さつま揚げ」になったと考えられています。
そして、ややこしいのが大阪で呼ばれている「天ぷら」という呼び方です。
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