2024.05.02

食べる

【函館】あの時の思い出がよみがえる。変わらない恋しい味に出会えるお店たち

『TOP'S』から『パーラー花車』へ。

「かつて大好きだった店や、あの味」といった類のテーマでアンケートをとるたびに、必ずといっていいほど複数の投稿者から名前が挙がるのが、70年代から90年代にかけて五稜郭地区で一斉を風靡した喫茶店『SWEET PARLOR TOP'S』(以降 トップス)だ。

1969(昭和44)年に開業し、常時15種類前後の多彩なパフェ、クレープやプリンアラモード・あんみつなどの甘味メニュー、そして看板料理の『名古屋うどん』や手作りピザ・スパゲティー・グラタン・ハンバーグなどの食事メニューで各時代の若者たちに愛された。この店がなくなってからすでに15年以上が経過したが、いまだにその存在が話題にのぼるほど、一時代を築いた人気店だった。

トップスの外観。1997年頃に撮影されたもの。

この店が最も多忙を極めていた80年代前後にスタッフとして現場で働いていたのが、現在花園町で『パーラー花車』を営む畑中幸一さんと畑中くみさんの夫妻。
当時、幸一さんは厨房でコックとして働き、くみさんはパフェづくりを担当。ふたりはこの店で出会い、その後結婚した。

「わたしが働いていたのは、19歳から21歳までの2年間。それ以前に、高校時代から店に通い詰めてたファンの1人だったんです。あの頃に通ってた方ならわかると思いますが、毎日夕方になると高校生の女の子で入りきれないほど忙しくて。ネットも携帯もない時代でしたからね。当時の函館の女子高生が学校帰りにお金を使うとしたらトップスでパフェ食べたりご飯食べるか、向かいにあった『満龍』で味噌カレーバター牛乳ラーメンを食べるかって感じでね(笑)」とくみさんは振り返る。

くみさんが大切に持ち続けているトップス後期のメニュー(2000年代)。実はパフェ等に使う生クリームには隠し味にホワイトキュラソー、キルシュワッサー、コアントローという3種の酒を入れていたり、ソフトクリームのバニラにラム酒を忍ばせていたりと、実は見えないところで手間とコストをかけていた店だった。

当時パフェを担当していたくみさんはそのレシピをすべてノートに書き残しており、厨房担当だった幸一さんもトップスの料理の作り方は頭に入っている。その中から再現可能な4品を『パーラー花車』で提供している。

トップス時代は『スパゲティ グラティーナ』の名で提供されていた『ミートソース チーズ焼』(1,100円)。

ちなみにトップスの料理で一番の名物だった『名古屋うどん』(きしめんを使った鉄板の焼うどん)については「あれね、野菜炒めて、きしめん炒めて、鉄板熱してって具合に、この焼きうどんひとつのためにガスをずっと使うことになるから効率が悪いんです。だから3年前にやめちゃいました(苦笑)。いまだに食べたいって人は多いんですけどね」(くみさん)

手作り生地にこだわっていたピザも復刻。ミックス、サラミ、エビの各種あり(1,200円)。

学生時代にトップスに心奪われた女性たちが、まるでミニ同窓会のように集まっては当時の思い出話と一緒に料理やパフェを楽しんでいく。「いまだにトップスの大ファン」を自認するくみさんにとって、それがなによりも嬉しい。いまはもう存在しない店のあの味、あの雰囲気が恋しくなったら、ここに行けばいつでも会える。大袈裟かもしれないが、それはまるで奇跡に近く、この上なく幸せなことなのだ。

【パーラー 花車】
函館市花園町40-34
0138-55-8607

***
『peeps hakodate』vol,123「恋しい味。」より

peeps hakodate

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