2024.04.04
深めるアムエルさんは、中国内モンゴル自治区の省都・フフホト市出身のモンゴル族です。「阿木爾」という中国名は当て字で、モンゴル族の言葉で「穏やかな」という意味を込めて、ひいおじいちゃんが「アムエル」と名付けてくれました。
日本との関わりは、物心がついたばかりの6歳の時でした。母親が出稼ぎのため日本へ渡ったのです。その時はまだ日本がどこにあるのか、どんな国なのかもまったく知らず、母親が日本へ行ったことを知ったのも、しばらく経ってからのことでした。その時、家族の間でこんなことがあったそうです。
母親は出稼ぎに出る前の日、アムエルさんの好物のパイナップルを切って、こう言いました。
「たくさん食べなさい」
アムエルさんには、母親が出稼ぎに行くことはまったく知らされていませんでした。
「僕はただ、毎日少しずつ、パイナップル食べることに夢中だったんです」
「そうしているうちに1週間ぐらい経って、ママはどこかに行ったのかなと思いながらも帰って来なかったので、パパに聞いたんです、『ママは?』と。そうしたら『日本に行ったんだよ』と…」
寂しい思い出から始まった日本との関わりでした。
その後、高校受験のために勉強漬けの毎日を過ごします。中学生時代は、朝6時30分からの「朝練」と呼ばれる体育の授業に始まって、午後7時の終業までびっしり科目授業が続きます。その後も補習授業を受けて、さらには帰宅後も大量の宿題をこなすため、夜12時ごろまで勉強を続けました。
高校受験を翌年に控えた14歳の時、母親が出稼ぎに出て以来、初めて帰国しました。パイナップルを切ってもらったあの日から実に8年ぶりのことです。アムエルさんが受験に向けてさらにハードな日々を送るのをサポートするための一時帰国で、ご飯をつくり、洗濯をして、励まし、見守ってくれました。その成果があって、アムエルさんは地元の進学校に合格し、母親はまた日本へ出稼ぎに戻ってゆきました。しかしそうして迎えることになった高校生活でも、大学入試のためにそれまで以上の受験競争が待ち受けていました。
「そう考えたら、きついなと思ったんです。そして、ママがいる日本の高校はどうなんだろう?と。従兄(いとこ)が海外の高校に進学していたこともあって、正直なところ、また始まる受験競争から逃げ出したい思いもあって…」
アムエルさんは、留学生を受け入れている日本の高校をインターネットで探しました。同時に日本語をインターネットで得た情報で猛特訓し、上海で入試を受け、岡山県の高校に進学しました。
「高校時代は本当に楽しかったんです。最初、日本語を覚えるのは苦労したんですけど、クラスの17人は仲が良くて、文化祭には僕の名前の模擬店を出して、内モンゴル風の蒸しパンを一緒に売ったりして…あっという間に過ぎました」
その後、北海道大学工学部に進学して、来春からは同大学院で石油工学の専攻研究を続ける予定です。
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