2024.03.14
深める路上生活者はこの十数年で減り、街角でも見かけることが少なくなりました。そ の一方で、車の中やインターネットカフェを転々としながら暮らす人が増え、生活困窮者の実態が見えにくくなっています。ハウスレスという言葉をご存知でしょうか?ホームレスとハウスレスの違いは何でしょうか?
生活困窮者がそうした暮らしを続ける理由は多様です。経済的な問題だけではなく、家族や職場とのトラブルから居場所をなくして孤立する人、障害や精神疾患があって社会への適応が難しい人、依存症になって治療を要しながらもその伝手を得ることができない人、一旦は生活保護の受給を得てもまた路上に戻る人など様々です。
冬には-10℃を下回る厳しい環境の札幌で、ホームレスの人、ハウスレスの人、彼らを支援する人…。この連載企画では、それぞれの暮らしと活動に向き合って、私たちのすぐそばで起きている貧困と格差の今を考えます。
→前回:【第1話】さむないよ。家はない ホームレス/ハウスレス~札幌発・生活困窮者の今と支援(第1話)ホームレスもハウスレスも経て…(1)
H.Yさん(72歳)がその事件にあったのは、去年10月15日午後11時過ぎのことでした。
路上のいつもの所でバッグを枕にして寝ていたら、突然、複数の男が周りを囲んで、枕にしていたバッグとほかの荷物一切を、あっという間に奪って逃げ去りました。
「寝とったんやけど、あっ!と思ったら、もう取られてて…」
「あーっ、と声が出たけど、怖くて怖くて。追っかけなかったんや」
バッグには現金と貯金通帳などが入っていました。その事件に合う前、H.Yさんは、毎週土曜日夜に「夜回り」で声をかけてくれる労福会の支援で、年金を受け取る手続きをして、受給が始まったばかりでした。そのため、かつて大手のスーパーマーケットや実家のスーパーマーケットで働いた通算約20年分の年金の一部が口座に振り込まれ、手元にも現金がありました。それを奪われてしまったのです。
年金を受け取る手続きをしたのは、あるきっかけがあってのことでした。
JR札幌駅に隣接するデパートが、北海道新幹線の延伸に伴う工事で、去年8月末に閉店しました。その1階にあった「札幌駅バスターミナル」も1か月後の9月30日で閉鎖され、バスの発着は当面、札幌駅の近くに分散されることになりました。
このことは、札幌の路上生活者にとって大きな出来事でした。と言うのは、H.Yさんを始め十数名の路上生活者が、深夜、このバスターミナルを根城にしていたからです。
当時のバスターミナルは、デパートの1階にあって外部との出入りが比較的容易だったため、路上表生活者にとっては、最終便が出た後、始発便が走り出すまでの間、雨風をしのぐことができる貴重な場所でした。
しかしそこでも、路上で凍った氷のかけらやゴミを、何者かに投げつけられるいやがらせを受けることもありました。
そのバスターミナルがなくなって、追い出された形となったH.Yさんらが、それぞれに新しい根城を探していた半月後の10月15日に、その事件が起きたのでした。
H.Yさんはその後、被害届を警察に出して、口座の取り引きも停止しましたが、関心はお金を取り戻すことではありませんでした。
「怖かった、怖かったんよ。ほんま怖かった」
荷物を盗まれた時、暴行を受けることはなく、けがもありませんでしたが、その恐怖は居ても立っても居られないほどのものでした。しばらくは震えが止まらず、眠りに就くことができない夜が続きました。
事件後、普段はあまり意識しなかった年齢のことも、頭をよぎりました。
そしてH.Yさんは、路上生活を止めることを決めました。
10月中に、労福会から引き継いだ別の支援団体のサポートを得て、生活保護の受給手続きをし、アパートを借り、鍵がかかる部屋で眠ることができるようになりました。
20年以上続けた路上生活に、終止符を打った瞬間でした。