2024.03.07
深める男性はなぜ、路上生活を送るようになったのか?私は後に、彼の半生を、生い立ちから聞くことになりました。
「おれは三浦友和と同学年なんや。いや、一緒の学校と言う意味でなくて、同じ学年の生まれと言うことや。だから、あの人のドラマは、よう観たで。百恵ちゃんと出てた『赤いシリーズ』、映画も観たな…」
昭和のテレビドラマの記憶から始まった男性の話は、ゆっくりとした、私を包み込むような口調で、飄々(ひょうひょう)と続きます。
1951年(昭和26年)に大阪市で生まれ、名前はH.Yさん(イニシャル)と言います。今年5月に73歳になります。一見、苦境に陥っているような様子はなく、親戚の優しいおじさんが昔話をしてくれるような印象で、私は耳を傾けました。
「これでも大学出てるんや。経営学」
地元の大学に通っていた1970年(昭和45年)には、大阪で万国博覧会が開かれ、昭和の高度経済成長を実感しました。その余韻が残る中、大学を卒業して大手スーパーマーケットに就職します。最初は衣料品やベビー用品の担当になって、店内の陳列から配送のバッグヤードまでの仕事を9年の間に一通り覚えました。その後、父親が経営するスーパーマーケットに移って家業を支え、ゆくゆくは経営を継ぐ予定でした。
H.Yさんは大の旅行好きで、まとまった休みには、当時、国鉄が仕掛けた旅行キャンペーンの歌「いい日旅立ち」の音色に乗って、日本の各地を回りました。
「職場の気が合うやつらと団体でも行ったし、一人でもよう歩いたわ」
しかしその職場では、辛い体験をするようになってゆきます。