2022.09.04
深める視聴者からの疑問や悩みを調査する、HBC報道部の「もんすけ調査隊」。
札幌の50代女性から、こんな疑問が寄せられました。
「直接の知り合いではないが、車いすで四国1周に挑戦する方がいます。どんな人か調べて下さい」
さっそく会いに行きました!
札幌市内に住む、中環(なか・たまき)さん、49歳。
左半身に麻痺が残る環さんは、車いす生活を送っています。
ことし5月、3日後に迫った四国出発に向けて、最終調整をしていました。
23日間かけて、1200キロ、四国1周に挑戦するといいます。
車いすは日常生活用のものを使います。11キロの荷物を背負い、1日40キロから50キロを走行。
テント泊で、雨天決行という過酷なものです。
下り道でブレーキをかけるときは、タイヤを手でギュッと押さえていなくてはいけません。ゴムが溶け、手にやけどを負ったこともあるといいます。
シングルマザーの環(たまき)さん、体が不自由ながらも2人の子どもを育てました。
今回の挑戦に、長男の港(みなと)さんは「家族ということで心配が一番大きいが、自分が子どもの頃にやりたいことをやらせてもらったので、母親のやりたいことをやらせてあげたい。できる限り協力していきたい」と話します。
環さんが障害を負ったのは、37歳のときでした。
「交通事故で首の頚椎っていうところが悪くなっちゃったらしくて、左側が麻痺。キンキンに冷たい。感覚があまりない」と、左足をさすります。
原因は些細な交通事故でした。
13年前のクリスマスの夜、子どもたちにプレゼントを買い、車で家に向かっていた環さん。赤信号で停車していると、車に追突されました。
首に負った傷がきっかけで、左半身に麻痺が残ったのです。
「自分の体が自分じゃない感じがして、すっごいイライラして。もうギャーってなってたし、会社も解雇になっちゃったから、収入源がなくなるし。だけど外からは笑い声が聞こえたり、そういうのを聞くのが嫌で、ずっとカーテン閉めて、もうね、引きこもってた。ずっとずっと引きこもってた」
そんな生活を1年ほど続けた環さん。
転機が訪れます。
「無気力でいた時に洗面台の鏡を見たの。そのときに汚いおばあさんが写っちゃって、子どもたちがかわいそうすぎると思って。引きこもってばっかりじゃなくて外に出ようって」
そして、今まで諦めていた夢へと歩み始めたのです。
それが全国47都道府県を周るというものでした。
「障害者になる前も、子どもが小さいからとか、女だもんとか、経済的とか、言い訳ばっかりで、やりたいことを全然やらないで来てたの。もう言い訳しないで、やりたいと思ったことを、まず準備しなきゃと」
おととし、最愛の父親を亡くしたことをきっかけに、夢を叶える第一歩として、去年、沖縄一周400キロを10日間で達成しました。
「何で走るんですかって言ったら、マラソンを一緒に走って喜んでくれた子どもたちのおかげかもしれない」
環さんは、障害のある子どもたちが自分の夢を実現するための寄付を集めて走っています。
生まれつき骨形成不全症で、歩くことができない長谷川宙(そら)さん。
環さんと一緒に、洞爺湖半周20キロに達成しました。
宙さんは、「確かに疲れましたし、本当に厳しいかなと思ったんですけど、最終的には半周の20キロ全部走り切れたので、自信に繋がったなと思います」と振り返ります。
脳性麻痺で生まれつき歩けない岩城七汐(ななせ)さんは、美瑛のマラソンで10キロ走に挑戦しました。
七汐さんは、「環さんが来てから僕も始めようと思ったって感じです。やっぱり大会があるので、マラソンの。それまでに何とか走れるようにはなっていたいです」と話します。
彼らの姿について、環さんは「本当はもっといろんなことやりたいんだって知ったときに、もっと『あれやりたい』『これやりたい』ってできるお手伝いができたら嬉しいなと思うし、ニコニコしてるのを見たら、自分がもっと頑張らなきゃと思ったのかな」と話していました。
5月10日、環さんは深夜の小樽港を出発しました。
旅の始まりは徳島県南部の海陽町。
しかし、初日は大雨に見舞われ、翌日、坂本龍馬のふるさと=高知県に。
通るのもやっとの細道を、「すごい道だな。面白い」とつぶやきながら、果敢に進んでいきます。
歩いて登るのも大変な坂道。そして、想像以上に苦しめられたのが下り坂。
車輪を手でつかみ、速度を調整するため、手袋はあっという間にボロボロになりました。
環さんの過酷な挑戦には、ある“想い”がありました。
「私みたいなおばさんがやったら、『オレもできるかも』って子どもたちも思うから。それで生活用車いすにこだわって走っている。子どもたちがやってみたいと思ってくれたらうれしい」
この日やってきたのは高知市。
当初、浦戸大橋を通る予定でしたが、交通量が多く危険なため、渡船(とせん)を選びました。
スタートから8日、環さんは、愛媛県に入りました。
車で並走しながら環さんを支えるのは、娘の岬さん。
仕事の合間を縫って、利尻島から応援に駆けつけました。
岬さんは、「車イスだからすごいというより、やりたいことをやれていることがすごいと思う」と話します。
洗濯や買い物のほか、環さんの「相棒」で元介助犬「ファーガス」の世話もこなしている岬さん。環さんにとっては、今も心強い存在です。
環さんは実は、「走ることが嫌い」だといいます。それでも、「嫌いなことほど、やればやるほど『やったー!』って思うから、それだけが欲しい」というのです。
スタートから17日、香川県へ。立ち寄ったうどん店の店主や、沿道で応援の声をかけてくれた人など、旅先で出会った人との会話も楽しみながら、前へ進みます。
少ない予算のため、基本は野宿です。自らテントをはって、過ごします。
それでも力強く、「やりたいことはやらなきゃ損。私みたいにいつ交通事故とか病気とかで障害になるかもしれない。何かやりたいと思ったらやってみてほしいなと思う」と話していました。
今月1日、再び渦潮のマチ、徳島県に。
予定では、ゴールまであと2日。
しかし環さんは、予定より1日早く、「できればきょうゴールしたい」といいます。
環さんは、右腕をさすっていました。「痛いの。ずっと痛いの。十何日間ずっと痛いの。左側が不自由な方だから、右側だけで漕ぐでしょ」
20日に及ぶ過酷な挑戦、環さんの体は悲鳴をあげていたのです。
痛み止めを飲みながらも、「ここまで来て、できませんって言えない」と、進みだしました。
岬さんは、「いってらっしゃい。無理せずね。気をつけて」と見送ります。
痛みに耐えながらも懸命に進む環さん。灼熱の日差しが容赦なく降り注ぎます。
さらに、山道のアップダウンが続きます。
40分の休憩を取り、再び走り出した環さん。
「あとチェックポイントは2個で。お風呂入れない覚悟でゴールに行きますよ、60キロ」と意気込みます。「なんともない、痛くない痛くない」と、体に言い聞かせます。
すっかり日が落ちた山道。夜は見えにくくなるため、歩道が切れる場所に岬さんが先まわりして、注意を促します。
ゴールまで、もう少し。
そして・・・
6月2日、午後8時53分。
ついに車いすで四国一周を達成しました。
スマホの走行距離は、直線で札幌から京都までとほぼ同じ、1000キロを越えていました。
ずっと力強く話してきた環さんの声が、初めて震えます。
「何回も正直止めようと思ったけど、沿道で応援してくれる人とか、札幌で応援してくれてる人とか、そういう人が頭にいて止められなくなって、おかげでゴールできました。よかったー」
文:HBC「もんすけ調査隊」
※掲載の内容は番組放送時(2022年6月)の情報に基づきます。
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