2025.05.04
深める荒町さんは噴火の2日前に避難をしました。
『戻れないかもしれない…』
そんなことは微塵も考えなかったと言います。
「何が一番って子どもたちのアルバムを持って出なかったので、それだけは無事でいてほしいなっていう気持ち」
噴火から数か月後、2度ほど一時帰宅できたため思い出のアルバムは持ち出せたものの、二度とこの場所で暮らすことは叶いませんでした。
「まさか」の経験…これが大きなきっかけとなり、有珠山の正しい知識や、噴火の記憶を語り継いでいく『洞爺湖有珠火山マイスター』の資格をとりました。
「2000年は自宅は失くしても命はなくさなかった、犠牲者が出なかったが、次の噴火はそうはいかないということもある。この地で暮らすためには有珠山のことを知っておかないと」