2021.10.10
深める女の幸せは、「イコール結婚」でも、「家庭と仕事の二択」でもない。いろいろな生き方をする女性を通して、「こう生きたっていいんだ」と思えるヒントを見つけてみませんか。
後志の寿都町の丘の上に立つ、「ペンションメロー」は、槌谷享子(つちや・きょうこ)さん(70)と、夫の和幸(かずゆき)さん(73)の2人で経営しています。
夕食には、寿都町でとれた魚や、自宅の畑で育てた野菜を使っています。
魚を切る作業などは享子さんも手伝いますが、味付けを担うのは和幸さんです。享子さんはお客さんに、「これおいしいから食べて!」「これもおいしいでしょう~」と夫の作った料理を自慢しています。
一方、朝食のパンは享子さんの担当。「毎朝こねて焼いてるんだよ、おいしいからあしたの朝楽しみにしててね」と、和幸さんが自慢します。
享子さんは岩見沢市出身ですが、父親の転勤で2歳から小樽市へ、小学校3年生から札幌市へ引っ越しました。「幼なじみ」と呼べる友達ができず、引っ込み思案だったため毎回の自己紹介も嫌で、「将来は転勤がない人と結婚したい」と思っていたそう。
21歳のとき、母親から、友人の甥だという和幸さんを紹介されました。和幸さんは3歳年上で、当時、郵便局に勤めていました。2人とも突然の結婚話に気が進まず、和幸さんは顔合わせに1時間遅刻してやってきたといいます。お互い顔もよく見ずに終わり、1か月ほど連絡もとらなかったそうです。
ところが、互いに家族から急かされて、もう一度だけ2人で会うことに。
「喫茶店でレモンスカッシュを飲みました。主人は紅茶だったかな。互いに断ろうと思って行ったんだけど、『次はいつ会う』という話になって。当時は携帯電話がないから、次の約束もその場でしなきゃいけなくて」
うまく話せなかった享子さんにとって、「よくしゃべる」和幸さんとの時間は楽しかったそう。「いい人だな」と思ううち、両親に結婚を急かされて、22歳で結婚しました。24歳で長男、25歳で長女を出産します。
しかし、実は和幸さんは、享子さんが結婚したくなかった「転勤」のある人でした。嫌だった転勤を繰り返すことになりましたが、和幸さんとの出会いが、性格も変えるほどの「一番の人生の転機」になったといいます。
和幸さんは職場の組合運動に参加するなど活発で、享子さんも次第に家族組合を手伝うようになります。転勤先の函館では、和幸さんの同僚の妻たちとの、友人関係もできました。子どもが年子だったため、学校の参観日が重なったときも、子どものいない友人が「参観日行ってみたい!」と代わりに行ってくれたり、運動会も一緒に見に行ったり、友人と「みんなで子育てするのが楽しかった」といいます。
「昔は手を挙げて発表するなんてできなくて、思っていても口に出して言うことはなかったけど、主人と出会って言いたいことを言えて無理しないようになった。今のほうがいい」
和幸さんは、郵政民営化のタイミングで、58歳で退職しました。享子さんは、40年勤めた苦労をねぎらって、退職金は和幸さんの思うとおりに使ってほしいと考えます。そこで応援したのが、和幸さんがずっと夢見ていた、ペンションの経営です。和幸さんの出身地である、寿都町で開きたいと考えていました。
しかし、和幸さんには不安がありました。ペンションを建てるには、退職金だけでは足りず、ローンを組む必要があったからです。それでも享子さんが、「2人ならなんとかなるよ」と背中を押しました。
そのころには、孫が5人になっていたため、「家族が集まるにも部屋がたくさんあったほうがいいし、お客さんが来なくてもいいよね」と前向きに考えました。
享子さんがこだわったのは、「女性ひとりでも安心して泊まれる宿」にすること。自身がひとりではラーメン屋にも行けないからこそ、「がんばらないで気を使わないで泊まれる場所」にしたいといいます。同時に、享子さんと和幸さんも「あまりがんばらない」で、したいように、楽にやっていこうと決めました。
特色のあるおもてなしは、享子さんと和幸さんが、お客さんと一緒にごはんを食べ、一緒にくつろぐこと。子どもや孫を迎えるかのように、リラックスした時間を作りだします。
今では享子さんも、「汁物に入れた、ごっこっていう魚は、コラーゲンたっぷりでお肌つるつるになるんだよ~!」「あっ!きょうケーキもらったの!食べない?!」など、常に明るく話しかけます。引っ込み思案だったなんて、ウソのよう。
お客さんからも「実家に帰ってきたみたい」「ふだんは仕事が忙しくても、ここでは頭をからっぽにできる」などと大好評。広く宣伝はしなかったものの、夫婦の「がんばらないおもてなし」からリピーターが増え、口コミが広がり、人気宿に。去年、ペンションを始めて14年目で、ローンは完済しました。
幼いころから引っ越し続きだった享子さんにとっても、寿都町はずっとほしかった「落ち着ける居場所」になりました。
「札幌にいたころは、窓を開けたら隣の家が見えたけど、今は海が広がるの。寿都町は空気もいいし、イベントがあってマチのことがよくわかるし、すごく楽しい。このマチにある人の密接さは、昔からほしかったもの」
ペンションは「やってよかった!すっごいよかった。なんにもしてなかったら知り合いになれないような人に出会える」と話す享子さん。でも、和幸さんと結婚していなければ、「ペンションなんて絶対無理!人付き合いなんて無理!」だったそう。
享子さんが自分の言いたいことを言って、やりたいことをできるようになったのは、和幸さんがいつでも「失敗を怒らない」からです。
たとえば、寿都町から車で3時間ほど離れた千歳市に住む娘に会いに行ったとき。享子さんがペンションについてから「娘の家にカギを忘れた」と気づいても、和幸さんは怒ることなく、また一緒に千歳市まで往復してくれました。
「前向きに生きられるのは主人の影響。過去がどうより今がいいなと思えるの。過去はどうしようもないんだから、失敗しても引きずらないで楽しいことだけやっていく」
生き方に迷う女性には、「自分は自分でしかないから、みんなそのままでいいと思う。自分をよく見せたいと思わなくていいし、そのままの自分を好きになってくれる人と一緒にいたらいいのよ」と話していました。
夫との出会いをきっかけに、「そのままの自分で生きる」しあわせに気づいたという享子さん。次回は、転職をきっかけに始めた「ボランティア」を通して、自分の生き方を見つけた女性をご紹介します。お楽しみに!
文:Sitakke編集部 IKU