いまから25年前。この建物は長らく住まい手を失い、蔦の葉が外壁に沿ってうっそうと生い茂る朽ちた洋館だった。そこに新たな命を吹き込み、2000(平成12)年にフレンチレストランをオープンさせたのが『唐草館』のオーナーシェフ・丹崎仁さんとマダムの丹崎文緒さん。24年という年月を重ねてきたこの古い建物は、いまも丹崎夫妻が修繕を重ねて維持しているが、それは建造当初の昭和初期から時代ごとに入居してきた者たちが、まるでリレーのように繰り返し、いまにいたるまで寿命をつないできた。
1935(昭和10)年に医院として建てられたこの建物。その後、医院が閉鎖されたあとは貿易商の住宅として使われ、さらに地元企業の社員寮だった時代を経て、1980年代は喫茶店『唐草館』となった。この当時のオーナー・近藤秀邦氏は函館で栄えた海産商の4代目で、1Fで喫茶店を経営しながら2Fに自身のデザイン事務所を構えていた。
1985(昭和60)年に発行された地元誌には店の紹介記事と一緒に、この建物に対する近藤氏の思いが綴られている。「1階の喫茶店は保存のための維持費を捻出するために営業している。バルコニーを復元し、看板も小さくして風格を保てたと思う。ちょっと遅かったかもしれないが、歴史的な建物を残して普段着の姿で使っていくことが我々の世代の使命だ」
そんな彼が大事に維持してきた『唐草館』も1990年前後に閉店し、ここが空き家になると再び蔦の葉が建物全体を覆った。1999年に函館でのレストラン開業の可能性を模索して、文緒さんがこの空き家を見に訪れたときは『唐草館』と刻まれた正面部分が完全に蔦の葉に飲み込まれ、建物全体もわずかに原型をとどめている状態だった。
「当時、私たちは箱根に暮らしていたんですが、私が里帰り出産するのに故郷の函館に戻ってきた頃で。そんなときにこの建物を見つけて、所有者をあたったら魚長さんのグループ会社でした。さっそく中を見せてもらうと、外観が傷んでいるわりに中は全然しっかりしてたんですよ」(文緒さん)。
魚長グループの子会社『マルカツ興産』の先代社長は、物件だけでなく喫茶店時代の『唐草館』の商標も持っており、ゆくゆくはその名でここを店舗にするプランを描いていたという。しかし丹崎夫妻がここに興味を示したことで快く売却。同時に「唐草館の名前も譲るから、もしよければ使って」と夫妻に伝え、喫茶店時代の店名がそのまま継承される形となった。
「やっぱり最初はフランス語のフレーズで店名を考えてたんですよ。自己満足的に(笑)。でもそんな名前じゃいつまで経っても覚えてもらえませんから。覚えやすいこの名前にして本当に良かったです」
■【函館】光と影、今と昔が交錯する「朽ちていく美」の異世界。
道南の記事一覧:【道南のお気に入りを見つけたい】