2024.01.25

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50歳差のゲイカップル。二人の“交流”から浮かびあがるものとは…「老い」を考える【後編】

皆さんこんにちは。満島てる子です。
普段はこのSitakkeで、お悩み相談コラムを連載させていただいています。

ライター・満島てる子

2024年の幕開けを迎え、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
「なぁに?辛気臭いこと考えるのね」と思う方もいるかもしれませんが(笑)、あたしは毎年新年がくるたびに、今年もがんばろう!というフレッシュな気持ちのみならず、「この先歳を取っていったら、自分ってどうなっていくのかしらね……老いとどう向き合ったらいいんだろう……」と、ぼんやりではありますが、将来のことをそれなりに真剣に考えさせられたりしています。

実は昨年の夏、この「老い」問題をより身近に感じる機会がありました。

東海林監督との上映会の様子。その後のサイン会にも多くの人が集まり、盛会となりました。

2023年7月28日(金)、狸小路のシアターキノで、とある映画の特別上映会が。
東海林毅監督作品、『老ナルキソス』。

同性愛者でSM好きの老絵本作家•山崎と、売り専として働く若者•レオ……2人の邂逅と交流、逡巡を中心としながら、ときに激しい衝突までをも描き出すこの1本は、ゲイの当事者であるあたしのこころに少なからぬ衝撃を与えました。

老絵本作家・山崎薫(役・田村泰二郎)と、売り専として働く若者•レオ(役・水石亜飛夢)(© 2022 老ナルキソス製作委員会)

この特別上映会のゲストスピーカーとして登壇させていただいたのをきっかけに、今回東海林監督にインタビューをする機会が。

【前編】70歳・ゲイとしての自分/男としての自分…「老い」を考える

前編に引き続いて、今回は具体的なシーンにもフォーカスを当てながら、監督からお話を伺っていこうと思います。

「太陽のしたのはだか」〜歴史をのこすということについて

短編版にはない様々なシーンが書き加えられ、より豊かな作品として再びこの世界に生み出された映画、長編版『老ナルキソス』。あたしには、初見の頃から「これはどういう意味を持ったシーンなんだろう」と、ずっと気になっていた場面がありました。

物語も終盤に差し掛かったあたりのこと。
それぞれの事情でやぶれかぶれになっている山崎とレオは、心配する周囲の声もおざなりにしたまま、一緒にドライブ旅行へと出発します。

旅程なかばの休憩中、灯台のもとで愛を交わす2人。

© 2022 老ナルキソス製作委員会

ドライブに出発するレオ(左)と山崎(右)。山崎はレオとの出会いを通じて、不器用ながらも「人と向き合う」ことにチャレンジしていきます。

事が終わってレオがふと気づくと、山崎が少し離れた波止場に一糸纏わぬ姿で立ち、晴天のもとでレオに向かってお辞儀をしているのです。ふふっと笑顔になるレオ。

このシーンに込めた意味について、東海林監督は以下のように語ってくれました。

「どうして同性愛者が差別を受けるのか、受けてきたのかっていうと、やっぱり同性の肉体に対して欲望することがそもそもの理由になっていますよね。だとしたら、差別を受け止めてきた自分の肉体そのもの、それ自体が歴史なんじゃないかって、僕は思うんです。それで山崎に、お日様のもとで裸になってもらおうと思った。かつて男性同性愛者は日本では「隠花植物(※シダやコケのような日陰に育つ胞子植物)」と言われ、下等かのような扱いを受けていたわけなんですけれど、その時代をも生きてきたゲイが太陽の光の下で完全に肉体を晒す。そんな象徴的なシーンがどうしても撮りたかったんです」

Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

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