2021.11.27

深める

「本当はすべてを水に流して、仲直りしたい。」相手をどうしても許せないとき、どうしたらいい?

皆さん、ごきげんよう!満島てる子と申します。普段はバーの店長だったり、LGBTパレードの実行委員として人前でおしゃべりしたり。札幌でちょこまかと何かをしている“ 女装子 ”のゲイで~す。読者さまから寄せられた相談内容をもとに、お悩み相談コラムを担当しています。

今年も残すところ一か月少々となってきたのね~。皆さんにとって、2021年はどんな年だったかしら(この質問、少し気が早い?笑)。

あたしにとっては、いいことも悪いこともてんこもりな日々だったんだけれど(昔からの夢だったコラム執筆をこうしてさせてもらえるようになったのは、もちろんいいこと代表よ!)、ゆっくり思い返すと、これまでよりも三重県にいる親と定期的に連絡をとるようになった一年だった気がします。

どんな家庭もそうかなと思うんだけれど、今となってはオンライン飲みをするぐらいには交流のある、あたしたち父と母、弟の四人も、決してずっと良好な関係だったわけではなく、現在に至るにはいろんな紆余曲折がありました。
あたし自身、今となっては「あんなことしなくてもよかったのにな」とか、当時を思い出して反省することもあるんだけれど(ま、今でも割とやらかしがちなんだけどね)、きっとそれは向こうも一緒だったりするのかな。

親とはいえ、人と人。一番近いようで、遠いところにいる人間同士です。
適切な距離感を作るための意見交換や、保つための努力。もしかしたら衝突したり、あえて離れなければならない瞬間もあるかもしれないし、それは「家族」という名前の下で付き合っていく限り、お互いに一生続くんだろうなぁ。

そんな、あたし自身も最近考えることの多い、この家族というテーマについて今回は相談が来ています。

読者さんからの相談内容

「重たい相談なのですが、聞いてほしいです。私は毒親育ちのもうすぐ31歳で、いわゆるアダルトチルドレンです。過去、母親に怒鳴られたり否定されたり、あんたなんて家族じゃないと言われたり、過去の深い傷が今でもトラウマで自分に価値を見いだせなくなりました。母は精神疾患もあったことから、ストレスのぶつけ先が私しかいなかった事も理解できてます。本当は全てを水に流して、仲直りして、また母親に愛されたいし笑いあいたいです。でもどうしても過去の傷が深すぎて、思い出せないと言われても、それが病気のせいでも、母を許すことができません。こんな私は、今後母と、そして自分と、どう向き合っていけばいいでしょうか。」

あらまぁ。えっとね、まずはあえて悪気も何も無しに、スパっと言わせてちょうだい……。
本当に重たい相談ね…!笑

いやね、これほどまで心の内や置かれた状況をつまびらかに、しっかり書いてくれているからこそ、きちんとヘビーというか。相談者さんの周りでこれまで何があって、今どんな気持ちなのかとか、きっと相談者さんが経験したことの全てではないんだろうけれど、それでもありありと伝わってくる気がするんです。だからね、とってもとっても重いのよ(あ、責めてるわけじゃないからね)!笑

しっかし、人間ってそれぞれなんやかんや抱えてるもんだろうけれど、お母さんとの諸々、なかなかにすさまじいわね。きっとずっと悩み苦しんできたんだろうけれど、ハードな内容であればあるほど他の人に相談しにくくなるのが世の常ってものだから、おいそれと誰かに話すこともできなかったんじゃないかしら(もし聞いてもらう機会があったとしても、辛い体験を話すのって本人にとって結構な負担になるだろうしね)。

ましてや親子のことって、区分するならばプライベートな事柄。自分の中に秘めざるをえない上、にもかかわらず、抱えていること自体がしんどかったはずです。大変だったわね。

家族って様々なかたちがもちろんあるだろうけれど、多くの場合相当な時間を共に過ごし、何かが起こったとしても一緒に生活することを余儀なくされるものです。だからこそ、その間でのいろんなことが生きていくにあたっての原動力にもなり、かと思えば投稿文の中にも書いてあるけれど、大きな「トラウマ」にもなったりするんですよね。

自分自身の心のケア、セルフコントロールも難しかったんじゃないかしら。そんな風に相談者さんのことを案じながら、同時にこのお悩みの重厚さをひしと感じていました。笑

あたしなりのAnswer

さて、今回のこちらの投稿に関してなのですが……。
あたしとしては相談者さんに、お母さんと実際どうこうする前段階として、二つのことをおススメしたいと思います。ひとつは、背負ったいろんな荷物をおろして自分を適当に受け止めてあげること、もうひとつは、落ち着いたら心の中の“お母さん”と対話してみることです。

この投稿を読んだとき最初に抱いた感想は、「この人は、きっと自分で自分をいろんなものに縛り止めている部分もあって、そのせいで苦しいんじゃないかなぁ」というものでした。

例えば「自分に価値を見いだせない」っていう気持ちは、そう考えるたびに、ますます自分に価値を見いだせなくなる沼のようなものです。行動もそっちに引きずられてしまいます。また、お母さんの様々な事情を「理解している」と重ねて語っているけれど、お母さんだって「他人」。きっとそれって、子どもだからといって無理に理解しなくてもいいし、理解しきれないはずのもの。実のところはわからないけれど、なんとなくその書き様から、この相談者さんは「お母さんのことを自分がわかってあげなきゃいけない」と己に言い聞かせているんじゃないかなと、あたしは思ったんです。

「毒親」「アダルトチルドレン」という語も、その“縛り”なのかもしれません (*1)。もともとこの二つの言葉は、生きずらさを抱える人をサポートする過程で、「え!あたしが感じていた辛さってこの単語で説明できるんだ!楽になるじゃん!」という気付きを当事者にもたらすため、おまじないのように使われていました。ですが最近では「あたしはアダルトチルドレンだから○○で、だからダメな人間なんだ」というように、それ自体が一種のよくないレッテルとして機能してしまう場面も見受けられます。相談者さんにとってこうした言葉を使うことが、自分を苦しめることにつながっていないかと、勝手ながら心配になります。

人間はそれぞれ、どうしてもいろんな足かせに囚われたり、時にみずからそこにハマってしまうこともあるでしょう。でもだからこそ、解くことのできる足かせからはおさらばして、生きてるとなぜかまとわりついてくる様々な重荷をなんとなく整理するのは、時に必要な作業だと思うんです。そして、その作業を通じて、きちんとなんてしていなくていいから、「あ、あたしこれでいいんじゃね?楽だし」と自分を受け止められるスタンスを見つけることができれば、まずきっと相談者さんの心もグッと軽くなるんじゃないかなと、そうあたしは感じます。

とはいえそんな心の荷物の中には、どうやっても手放せない、自分自身を作り上げているようなものもあるでしょう。例えばあたしの場合、父や母の影響がもう一人の“親”かのように精神のなかに根付いていて、自分を励ましたり、叱ったりしてきます。相談者さんの内側にもきっと心の“お母さん”がいて、いろんな呼びかけをしてくるんじゃないかと思います。だからこそ、その心の“お母さん”に振り回されることが、相談者さんにとってのトラウマそのものなんだろうと想像するのですが……。

ただ、もしそうだとするならそんな自分の中にいるお母さんに“毒親”などのお札を張って封印してしまうのではなく、できる限り自分の心が楽な状態を作ったうえで「お母さんの言ってること、ウケんね」「こういうとこわかるけどこういうとこ無理だわ~」と、“内的対話”とでも言うような仕方で向き合ってみると、相談者さんの気持ち自体が変わっていくだろうし、それによって現実のお母さんとの関わり方も、その影響で変わってくるんじゃないかと思うんです。

もちろん、例え親子と言えども、命はひとりひとり。
自分が苦しくなりすぎて生きづらくなってしまうぐらいならば、きちんと距離を取って穏やかに過ごしていく方が賢明です。そこからある日突然すべてが許せてしまって、もう一度一緒にいられるようになる可能性だってあります。

でも、そういう実際の動きに向けては、きっと自分の心を整理することが先。まずはお母さんそのものは置いておいて、相談者さん自身の気持ちにメスを入れて、己の“くせ”を解くところからぜひやってみてください。そして、その解きほぐした向こう側、安らいだ心の中に“お母さん”の姿が見えてきたら、余裕のある時にそれとゆったり向き合ってみてはどうでしょうか。

お母さんとの関係にはっきりとした折り合いや結論なんて、全然つけなくていい(多分一度はっきりさせたところで一生考え続けなきゃいけなくなると思うんです。だって家族だもの)。すぐには難しいかもしれないけれど、いつか相談者さんが自分らしく楽に生きて、安らかな日々を送れるよう祈っています。

ま・と・め

今回は家族、親子に関するお悩みについて考えてみました。
ところであたしは店の“ママ”として、自分の店で働く“店子”達のこと、本当の子どものように育てたいし愛を注げたらと思っているんだけど(なんだか照れ臭いわね)、そんなスタッフのひとりがなんとパートナーとの間に新しい命を授かったのよね。HBCニュース公式YouTubeに載ってます!

なんか気分的には、お母さん飛び越えておばあちゃんになるんかしらって感じ……。

ともあれ、年明け出産予定らしいんだけど、無事に生まれてきてくれることを願い続ける日々です。
あたしにはあたしなりにいろんな“家族”がいるんだなぁと、改めて認識した出来事でした。

ではではみなさん、また次回。Sitakkeね~!

(*1)この話題については 加藤篤志(1998)「アダルト・チルドレンの語られ方―雑誌記事の分析より―」『茨城大学人文学部紀要コミュニケーション学科論集』第4巻, pp. 165-180. を参照。

***
「連載コラム・てる子のお悩み相談ルーム」
文|満島てる子
(オープンリーゲイの女装子。北海道大学文学研究科修了後、「7丁目のパウダールーム」の店長に。LGBTパレードを主催する「さっぽろレインボープライド」の実行委員を兼任。) 2021年7月よりWEBマガジン「SItakke」にて読者参加型のお悩み相談コラム【てる子のお悩み相談ルーム】を連載中。

Sitakke編集部

Sitakke編集部やパートナークリエイターによる独自記事をお届け。日常生活のお役立ち情報から、ホッと一息つきたいときのコラム記事など、北海道の女性の暮らしにそっと寄り添う情報をお届けできたらと思っています。

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