帯広・十勝の「お出かけスポット」として、親しまれてきた藤丸。
「特別感」と「地元らしさ」を併せ持つデパートでした。
1月31日、最後の営業日。
宝石店に30年以上、通っていたという女性客は、「最後のアクセサリー」を、買っていきました。
「ありがとうございましたー、元気でね」
1900年、明治33年に、呉服店として創業。
1992年には、売り上げ145億円を記録し、地元の「ナンバーワン企業」だった時代もありました。
「子どもが小さいときから必ず藤丸に来てお食事して、ほとんど洋服は、藤丸以外は買わなかった」という客も。
藤丸の前には、カメラに最後の思い出を残そうと、記念撮影をする人も多くいました。
菓子店は開店から3時間ほどで売り切れに。
釧路から2時間以上かけて来たという人もいました。
「来るべき時が来たかなという感じ。寂しくなりますよね」
そう話すのは、「藤丸」の元従業員、長谷川政利(まさとし)さんです。
46年間にわたった勤務では、主に催事担当として、様々なイベントを手がけてきました。
経済成長の中で、マチが急速に発展していく時代でもありました。
長谷川さんは、「エスカレーターが初めて動いた時は、下駄を脱いで上がろうとした人がいた」と振り返ります。
この日、長谷川さんは、「藤丸」にとっての最後の催事、「おめざ感謝祭」の会場を歩きながら、別れを惜しみました。
大勢の客であふれ、かつての賑わいを取り戻したようでした。
長谷川さん「たくさんの人が利用してくれているのを見て、閉店が嘘みたいですよね」
帯広出身・TBSの安住紳一郎アナウンサーも先週、「藤丸」を訪れ、「メッセージ」を託してくれました。
『私たちの心のよりどころが今日なくなります。大事なものだった事に気づかず「ネット通販サイト」で買い物していた自分を責めています。藤丸を守れずして、なにが “試される大地” じゃ!』
安住アナウンサーは、休日を利用して訪れて、思い出を焼き付けて帰ったということで、朝の番組でも「帯広出身のみんなが感謝しています」と話していました。
地元の人で来たことがない人はいないというくらい、愛されてきた藤丸。
新たに事業を受け継ぐ新会社も設立されています。早ければ12月にも再出発をと言われていますが、具体的な見通しは立っているわけではありません。
退職した人の再就職率も、約3割程度にとどまっていて、市内では就職説明会も行われています。
閉店セレモニーで、藤丸の藤本長章社長は、「藤丸の創業122年の歴史は帯広・十勝の歴史そのものでした。心から感謝を申し上げます」と話していました。
文:HBC報道部
編集:Sitakke編集部IKU
※掲載の内容は放送時(2023年1月31日)の情報に基づきます。最新の情報はHBCニュースでご確認ください
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