2021.07.01

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【函館の立ち飲み文化】もっきりやがあった頃

写真/函館市中央図書館所蔵

この町に「もっきりや」があった頃

戦後間もなく日本政府が行った計画造船に加え、高度経済成長期における石油消費量の急激な伸びによる大型タンカーの製造需要によって、昭和20〜40年代まで好況に湧いた造船企業・函館ドック。ピーク時は下請け企業は200社を超え、数千人もの働き手が弁天町の造船所に出入りしていた。そんな函館ドックの繁栄とともに、近隣の町のあちこちで賑わいを見せたのが酒屋の立ち飲み。いわゆる「もっきりや」だ。北海道や東北ではこの呼称で通っているが、関東や九州では「角打ち」、大阪ではストレートに「立ち飲み」と呼ばれる。

その当時、弁天町・入舟町・大町界隈には千代盛商会、川守田商店、角萬長浜屋、 伏見商店、白倉商店、木下商店など古くからの酒屋が数多く点在し、その店の中には大抵10人前後が立ち飲みできるスペースがあった。夕方5時過ぎ、仕事を終えた函館ドック関連の働き手が一斉に町へと流れてくる。待つ時間などもったいない、まずは早く一杯飲みたいという左党はもっきりやへ直行。5時30分も過ぎれば、この3町にあった店はどこも大勢の客で埋まった。創業120年余の歴史をもつ弁天町・大黒通りの『町出商店』(現在は閉業)も、この時代に活況を呈したもっきりやの一つ。ここに掲載したのは昭和初期の町出商店。もっきりを提供していたのは、左側の「キリンビール」看板下の入口を入ってすぐ。酒や食料品を保管する倉庫の一部で立ち飲みができた。

3代目の町出治與門(ぢよもん)は酒屋の店主でありながらドックの資材課で働く従業員だったため、仕事を終えると決まって10〜20人の職場仲間を引き連れてきた。「私が小学生の頃なんかは、学校から帰るとカウンターは常にぎゅうぎゅう詰めでね。賑やかでしたよ。立ち飲みっていっても座りたがる人もいるから長椅子があってね。人が多くてカウンターだけじゃ追いつかないから、ビール箱を縦に積んでその上に板を置いて即席のテーブルつくって対応してました」 3代目の息子で、のちに兄の俊昭さんと店を継いだ町出邦雄さん(73歳)の記憶に残る当時の風景だ。

町出商店に限らず、どの店も基本的にはビールは出さず日本酒か焼酎のコップ酒のみ。料飲店免許がないので調理加工はできない。だからつまみは缶詰か乾燥珍味かピーナッツだ。客の滞在時間は短く大抵が2〜3杯だけ飲んでパッと帰ったが、連日この界隈のもっきりやをハシゴする強者も多かったので、町出商店のカウンターは入れ替わり立ち替わりで人の出入りは途切れなかった。「千代盛さんも伏見さんも川守田さんも、どこも例外なく同じだったと思いますよ。そのかわり女性はほとんど来なかったかなぁ。唯一、ウチの近所にアルコール大好きなばあさんがいてね。昼間っからいつもヘペレケで(笑)。その人がたまにフラフラとやってきて、焼酎の量り売りを買いに来たついでに1杯飲んでく程度で。でも今の立ち飲み屋さんって女性が結構行くんでしょう?時代は変わったよねぇ(笑)」

昭和48年のオイルショックを契機に、函館ドックは業績不振に見舞われ、従業員や下請け企業は大幅に減った。ドックの繁栄と呉越同舟だった3町のもっきり文化もこの頃から衰退。昭和50年代に入ってからは立ち飲みをやめる酒屋が増え、3町の中で現在まで続けているのは大町の酒屋『入一 山本商店』1軒のみとなった。同店の創業は戦前で、もっきりは昭和45年から始めた。つまみは慣例に従って主に乾燥珍味だが、持込自由のため常連は刺身や寿司、ときにはガスコンロを持ち込んでのジンギスカンが始まることもある(函館市大町2-10 0138-22-2598)。現在も夕方を過ぎたあたりから常連たちがパラパラと集まりだし、結果的に弁天・入舟・大町におけるもっきり文化の最後の灯をともしている(函館市大町2-10 0138-22-2598)。

「ドックの衰退が原因の一つかもしれないけど、それ以前から立ち飲みの文化そのものが衰退してた部分もありますよ。単純にね、酒屋にとってもっきり商売は結構負担になるんだよね。あくまで本業は酒屋だから、そっちの仕事をこなしながらやるわけでしょ。配達に出るってなると、大抵はそこの奥さんが1人で酔った客を相手にしなきゃならないわけでね。決してみんながみんなお行儀がいいわけないから、中には暴れて喧嘩しだす人たちもいれば、ずっと帰らない人もいる。そのわりには売上はあがらないしね。だからお客さんの数と関係なくやめてった店もあったと思いますよ」
 前述の『山本商店』の他、大門の『瀧澤商店』や万代町の『矢島商店』など、わずかながら残っている函館のもっきり文化。居酒屋でも、焼鳥屋でも、バーでも味わえない匂いと時間がそこにはある。足を踏み入れたことのない人にとっては、独特の敷居の高さを感じるかもしれないが、勇気が必要なのはほんの最初だけ。かつて函館が燦然と輝いていた時代に思いを馳せて、乾き物をつまみにあおるコップ酒もまたうまいのだ。

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かつては、こんなもっきりやがありました。

富士屋 北村酒店
中島廉売にあった酒屋。夕方が近づくにつれて廉売で働く魚屋や八百屋の主人らが続々と集まり、仕事終わりの1杯を味わった。店内には昭和40年代の清酒やウイスキーのポスターが当時のまま飾られていた。

江口酒店
大正末期〜昭和元年の頃に創業した大門の老舗酒屋。立ち飲みの正調とされるU字カウンターの真ん中にいつも鎮座していた主人は、服と料理をこよなく愛する伊達男。映画『オー・ド・ヴィ』の撮影にも使われた。

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参考資料/
『立ち飲み屋』(立ち飲み研究会 著・ちくま文庫 刊)
函館市史 通説編第4巻・第7編「市民生活の諸相」(函館市史編さん室 刊)

peeps hakodate

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